
ベテランの勘・コツを言葉にする、暗黙知を引き出す問いかけ方
「これ、どうやってるんですか?」と若手が聞いても、返ってくるのは「見てりゃわかる」「体で覚えろ」。 悪気はないのに、肝心のコツが言葉にならない——技能伝承の現場で、いちばん多いつまずきかもしれません。
勘やコツは、ベテラン本人が「無意識にやっている」からこそ厄介です。 手が勝手に動くレベルまで染み込んだ動作は、本人にとって「当たり前すぎて説明することがない」もの。だから「教える気がない」わけでも「隠している」わけでもなく、ただ言葉にする機会がなかっただけ、ということがほとんどです。
この記事では、その頭と手の中にある暗黙知(言葉になっていない勘・コツ)を、責めずに、隣で一緒に言葉へ引き出していく問いかけの手順を整理します。
結論:いきなり「マニュアルを作ってください」と頼まず、まず一つの動作にしぼって、作業中に「今、何を見ましたか?」「なぜ今そうしたんですか?」と小さく聞き取ります。ベテランに書かせるのではなく、聞き手が言葉にして書き留める。この役割分担にするだけで、出てこなかったコツが少しずつ言葉になります。
暗黙知(暗黙のうちに持っている知識)と形式知(言葉や図で表せる知識)という言い方があります。 技能伝承とは、この暗黙知を少しずつ形式知に移していく作業です。とはいえ全部を言葉にするのは無理があります。狙うのは「勘のうち、聞けば言葉にできる部分」を取り出すことです。
何が起きているか — 「言葉にならない」のは自然なこと

勘・コツが言葉にならない背景には、いくつかの共通した事情があります。
- 動作が体に染み込んでいて、本人が「判断している自覚」を持っていない
- 「これくらい説明するまでもない」と、当たり前だと思い込んでいる
- 忙しくて、立ち止まって振り返る時間そのものがない
- 「言葉にすると当たり前すぎて拍子抜けされそう」と、口にしづらい
これは、ベテランの教え方が下手だという話ではありません。 むしろ、考えなくても手が動くところまで技を磨いた証拠でもあります。だからこそ、本人に「言葉にしてください」と丸投げすると、かえって出てきません。必要なのは、隣で作業を見ながら、聞き手が引き出して書き留める役割です。技を持つ人と、言葉にする人を分けるだけで、ぐっと進みやすくなります。
手順を小さく分けて、コツを言葉にしていく
一度に「全工程のマニュアル化」を目指すと、始める前に息切れします。 まずは、いちばん人によって差が出る作業や、失敗が多い工程を一つだけ選んで、そこから始めましょう。
まず、対象を一つの動作にしぼる。 「段取り全部」ではなく、「この治具の位置決め」「この材料の締め加減」のように、数分で終わる一動作に区切ります。範囲が小さいほど、ベテランも構えずに答えられます。
次に、作業中に「今」を聞く。 後から会議室で「あの作業のコツは?」と聞いても、たいてい出てきません。実際に手を動かしているその場で、「今、何を見て判断しましたか?」「今の音、何が違うんですか?」と、動作の直後に聞くのがコツです。五感(見た・聞いた・触った・においで気づいた)に沿って聞くと、言葉が出やすくなります。
その後、「なぜ?」を一段だけ掘る。 「なぜ今、送りを落としたんですか?」と一度聞くと、「音が変わったから」と返ってくる。そこで「どんな音?」ともう一段。深追いしすぎず、一つの動作につき「なぜ」を一〜二回でやめておくと、負担になりません。
最後に、聞き手がその場で書き留める。 ベテランに書かせず、聞いた言葉を聞き手がメモやスマホの音声・動画に残します。「材料が温まると音が高くなる。そうしたら送りを一段落とす」——このくらい具体的な一文が数個たまれば、立派な形式知の芽です。
大がかりなマニュアルにしようとしないのがコツです。 最初から体裁の整った手順書を目指すと、完成前に止まります。まずは「一動作ぶんのコツ集」を数行のメモで作り、使いながら足していくくらいがちょうどよい粗さです。動画で手元を撮っておき、そこに聞き取った一言を添えるだけでも、十分に伝わる教材になります。
引き出しやすくする、問いかけの小さな工夫
同じことを聞いても、聞き方ひとつで出てくる量が変わります。現場で試しやすい工夫をいくつか。
- 「教えて」より「見せてもらっていいですか」:説明を求めると身構えますが、いつもの作業を見せてもらう形なら自然です。やってもらいながら、その場で聞きます。
- 失敗例から入る:「うまくいかないのは、どんなとき?」は答えやすい問いです。失敗を避ける勘の中に、いちばん大事なコツが隠れています。
- 若手の「やってみた」を挟む:若手に一度やらせて、ベテランに「今の、どこが違った?」と聞くと、違いが言葉になって出てきます。差分を見た瞬間がいちばん語りやすいタイミングです。
- その場で否定しない・急かさない:「そんなの当たり前でしょ」と言われても受け止め、「その当たり前を知りたいんです」と返す。急かさず、沈黙も待つ。安心して話せる空気が、いちばんの引き出しになります。
一度で全部を聞き出そうとしなくて大丈夫です。 一日一動作、一つのコツが言葉になれば十分。それが積み重なって、いつのまにか「見て覚えろ」だった技が、後輩に渡せる形になっていきます。
暗黙知を言葉にするチェックリスト
(最初は一つの動作から。以下は、慣れてきたら順に広げていけば大丈夫です。)
- 対象を「一つの動作」にしぼれているか(範囲を広げすぎていないか)
- 作業中・その場で聞けているか(後日の会議室になっていないか)
- 「何を見た・聞いた・触った」と、五感に沿って聞けているか
- 「なぜ?」を一〜二段、深追いせず聞けているか
- ベテランに書かせず、聞き手が書き留める役割分担になっているか
- 失敗例・若手との違いから、コツを引き出せているか
- 具体的な一文(「〜になったら〜する」)でメモできているか
- その場で否定せず、安心して話せる空気を作れているか
全部にチェックがつかなくて大丈夫です。 まずは「一動作について、その場で一つコツを聞き取ってメモする」ところまでできれば十分。深掘りや教材化は、続けながら形にしていけば構いません。
なお、どこまで言葉にできるかは、作業の種類や人によって差があります。 どうしても言葉にならない「体の感覚」も確かにあります。そこは無理に文字にせず、動画で手元を残す・実際に横で何度もやらせる、といった形で補って構いません。大事なのは完璧な文書化ではなく、「一人の頭の中だけにある状態」を少しでも減らしておくことです。
よければ、こちらも
- 手順そのものを形にしていく段階では、作業標準書を現場が実際に使う形に整える書き方 もあわせてどうぞ。
- 段取りを映像で残したいときは、ベテランの段取りを動画で残して技能を伝える方法 が参考になります。
- 退職が近いベテランがいるなら、ベテラン退職前にやっておく技能の棚卸し で優先順位のつけ方を整理しています。

技能の伝承は、一冊のマニュアルで一気に終わる仕事ではありません。 今日ひとつのコツを言葉にする。明日また一つ聞き取る。その積み重ねが、いつか後輩を助ける教材になります。
「見て覚えろ」しかなかった技を、言葉にしようと動き出した時点で、その現場はもう技能を未来へつなぎ始めています。