加工機のそばで運んでいた部品を取り落とし、ヒヤッとした表情でその場に立ち止まって足元を見つめている町工場の作業者

ヒヤリ・ハットが集まらない現場で、報告を続ける仕組みのつくり方

「ヒヤリ・ハット、気づいたら出してくださいね」。 朝礼でそう言って、用紙も刷って、壁に箱まで掛けた。

一週間後、箱をのぞいてみたら、中は空のまま。 二週間目には、用紙の束だけが少しほこりをかぶっている——。

これ、うちだけかな、と思われるかもしれません。でも、ヒヤリ・ハットの用紙が空のまま終わるのは、本当によくある話です。そして多くの場合、現場の安全意識が低いからではありません。

この記事では、ヒヤリ・ハットが集まらない理由をほどいたうえで、書くのに30秒しかかからない形と、週10分で回せる直し方を、一緒に組み立てていきます。

結論:ヒヤリ・ハットが集まらない原因は、たいてい2つだけです。①書くのに時間と気力がいる②出しても何も起きない。だから直すのもこの2つです。用紙を1枚・5項目に絞って30秒で書けるようにする。そして集まったものは、週に1件だけ直して、直したことを本人と現場に伝える。全部を直そうとしないのが、続けるコツです。

進め方は、この4つの順番で回します。

  1. 書く — 30秒で書ける用紙にする
  2. 集める — 出す場所を1か所だけ決める
  3. 直す — 週に1件だけ選んで手を打つ
  4. 知らせる — 直したことを現場に返す

いちばん効くのは、意外にも4つ目の「知らせる」です。ここが抜けると、他の3つをどれだけ整えても続きません。

何が起きているか

ヒヤリ・ハットを書く、集める、直す、知らせるの4つの場面を左から右へ順に並べ、最後から最初へ戻る流れを示した説明図
「直す」と「知らせる」まで回って、はじめて次の1枚が出てくる

現場からヒヤリ・ハットが出てこないとき、そこにはだいたい次の3つが重なっています。

1つ目は、書くのに時間がかかること。 市販の様式や本社から回ってきた書式は、たいてい立派です。発生日時、作業内容、直接原因、根本原因、対策案、実施予定日。書く欄が10も並んでいると、忙しい現場では後回しになります。「あとで書こう」と思った時点で、その一件はほぼ消えます。

2つ目は、書くと自分が責められる気がすること。 ヒヤリ・ハットは、多くの場合「自分がやりかけたこと」です。手順を飛ばした、片手で運んだ、確認せずに機械に近づいた。それを紙に書いて出すのは、正直こわい。名前を書く欄があるなら、なおさらです。

3つ目は、出しても何も起きないこと。 これがいちばん大きい理由です。勇気を出して1枚出したのに、翌週も翌月も現場は同じまま。何の返事もない。そうなると、次の1枚は出てきません。現場は「意識が低い」のではなく、「前に出したときの答え」を覚えているだけです。

ここで、労働安全の分野でよく引かれる経験則があります。1件の重い労働災害の背後には、けがの軽い事故が約29件、けがには至らなかったヒヤリ・ハットが約300件あった、という古い調査の比率です。数字そのものは業種や時代によって変わりますが、この経験則が伝えているのは「重い事故の前には、たくさんの小さな知らせが先に届いている」ということです。

その知らせは、たいてい現場の頭の中にはあります。ただ、紙になっていないだけ。 だから、やることは「危険に気づける人を育てる」ことではありません。すでに気づいている人が、面倒がらずに出せる道をつくることです。

なお、製造業では、設備や作業にひそむ危険性を調べて手を打つ「リスクアセスメント」が労働安全衛生法で求められています(製造業などは努力義務)。ヒヤリ・ハットは、その調査のいちばん手前にある材料です。難しい手続きの話に見えても、入口は現場の一言だと考えて大丈夫です。

具体例:30秒で書ける用紙にする

まず、用紙を作り直します。A6(はがき大)くらいの小さな紙に、5項目だけ。これで十分です。

項目書き方
日にち日付だけ。時刻はいらない
ばしょ設備名か場所名(「3号機の裏」など)
なにがあったひと言だけ。一文で終わってよい
あぶなかったのはけが/不良/設備こわれ のどれかに○をつける
名前書かなくてよい(書きたい人だけ)

原因欄と対策欄は、あえて入れません。 原因を考えるのは出した人の仕事ではなく、あとで一緒にやることだからです。「原因を書け」と言われた瞬間、その紙は10分仕事になります。

記入例を2つ挙げます。これくらいで十分伝わります。

7/28/3号機の裏/通路のエアホースに足を引っかけそうになった/けが
7/29/材料棚の上段/長尺材を一人で下ろそうとして肩の高さでぐらついた/けが

「これだけ?」と思われるかもしれませんが、これだけです。 場所と、何があったか。この2つがあれば、見に行けば状況はだいたい分かります。

そして、用紙を配るときに、ひとつだけ現場に伝えておきたいことがあります。

「出してくれた人を、叱りません。手順を守れなかった話でも大丈夫です。危ないところを先に教えてもらえるのが、いちばんありがたいので」

この一言があるかないかで、出てくる枚数は変わります。書いた人を責めないと決めるのは、用紙の様式より先にやることです。

集まったあと、何をするか

ここからが本番です。回収箱に紙がたまり始めたら、週に1回、10分だけ時間を取ります。長い会議はいりません。

やることは3つだけです。

  1. たまった紙をテーブルに並べて、声に出して読む
  2. 今週直す1件を選ぶ
  3. 誰が、いつまでに直すかを決める(その場で紙にメモする)

選び方の目安は、「すぐ直せる」×「またやりそう」が重なるものです。安全カバーを付ける、ホースの取り回しを変える、床のテープを引き直す、置き場を一段下げる。数千円と半日で終わるものから手をつけます。

大きな設備改造や人員の話が必要な件は、いったん「あとで考える」の束に分けておきます。捨てるのではなく、分けるだけです。半年たまった頃には、それが設備投資を相談するときの立派な資料になります。

そして、直したら必ず知らせます。朝礼で30秒あれば十分です。

「先週出してもらった3号機の裏のエアホース、天井から吊るす形に変えました。出してくれた人、ありがとうございます」

これが「知らせる」の中身です。 自分の出した紙で現場が1つ変わったのを見た人は、次もまた書きます。逆にここを飛ばすと、どれだけ用紙を配っても箱は空に戻ります。

集まらないままだと、どこにしわ寄せがいくか

ヒヤリ・ハットが紙になっていないとき、その情報がなくなるわけではありません。ベテランの頭の中にだけ、置かれたままになります。

こういう判断は、たしかに現場を守っています。ただ、外から見えません。だから、入ってきたばかりの人は同じ場所で同じ思いをします。ベテランが休んだ日に、その情報も一緒に休んでしまいます。

数の感覚もつかんでおきましょう。10人の工場で、1人が月に1件出したとすると、月10件、年間で120件です。この全部に対策を打つのは、正直むずかしい。週1件のペースで直しても、1年で52件ほどです。

つまり、集まったうちの半分以上は、その場で直らないということになります。 それでいいのです。直らなかった分も、読み上げて共有した時点で「あそこは危ない」という情報は現場に渡っています。全部直すことを条件にすると、そもそも集めるのをやめてしまいます。集めることと直すことは、切り離して考えて大丈夫です。

明日やること

明日、20分だけ取れれば始められます。

最後の1行がいちばん大事かもしれません。箱を開ける日を決めていないと、紙は入ったまま数か月たちます。

いちばん最初の1枚は、リーダー自身が書くのがおすすめです。「自分もヒヤッとする」と見せるほうが、何度お願いするより早く伝わります。

ヒヤリ・ハットを続けるためのチェックリスト

一度に全部そろえなくて大丈夫です。 上から4つ目、「出した人を叱らない」と伝えるところまでで、その週の仕事としては十分です。

よければ、こちらも

朝礼で現場リーダーが数人の作業者に向けて片手を上げて話しかけ、みんながうなずいている明るい町工場の場面
出した一枚が現場をひとつ変える。そこから次の一枚が出てくる

ヒヤリ・ハットが出てこないのは、現場が危険に鈍いからではありません。 みんな、ちゃんとヒヤッとしています。ただ、その一瞬を紙にする道が、まだ細いだけです。

道を太くするのは、立派な様式でも、熱のこもった号令でもありません。 書くのが30秒で済むこと。出したら何かが1つ変わること。この2つだけです。

派手ではなくても、通路のホースを1本吊り上げた今日の作業が、誰かのけがを静かに一つ減らしています。 まずは、あなた自身の1枚から。それで十分に始まっています。

関連用語